英会話スクールってどんなところ?

日本の英会話スクールの始まり

イギリスからの言語を日本では「英語」と呼ぶようになったのは、今から460年ほど前に来たポルトガルとの交流が影響していると言われております。

 

ポルトガルは日本人が初めて出会った西洋人でしたが、これが契機になって日本とポルトガルは国交関係を結ぶようになりました。

 

日本人がポルトガルから受けた影響は今でも数多くの痕跡が残っています。

 

一例を上げますと、「カステラ」「かりんとう」「襦袢」「天ぷら」などの日本語もポルトガル語が日本語として定着した言葉です。

 

火縄銃などの鉄砲や天ぷらなどを代表するように日本の料理にも大きな影響をお与えました。
その後になってオランダとの交流が始まりますが、日本人はポルトガル人やオランダ人を通じてその他の西洋の国々について情報を得ました。

このなかで、イギリスという国名が「英国」と訳して、イギリス語を「英語」と定めたようです。

 

しかし、本格的に英語が日本に入ってきたのは江戸時代の末期になってペリーの率いる黒船が下田に入ってきたことが大きなインパクトになりました。

 

ジョン万次郎という日本の男性が漂流してアメリカ漁船に助けられてアメリカで半生を過ごした後に、日本に帰ってきて通訳を努める傍ら書き残した英会話教本も残っているようです。
また、寛永元年{1848年}にラナルド・マクドナルドというアメリカ人が北海道に来て不法入国者として捉えられました。
しかし、誠実な人柄を認められて長崎奉行の肝いりで英語を教えたのが英会話教室の始まりと言われております。

日本の英会話教室の歴史

西暦538年に日本に仏教が伝来したように日本は古くから中国や朝鮮半島などのアジア大陸の人々との人的交流や文化交流が盛んに行われてきましたが、初めて西洋人に出会ったのは日本の種子島に来たポルトガル人が初めてでした。

 

江戸時代には鎖国をしましたが九州長崎の出島や平戸などを特別区として、オランダとは交易を行なって蘭学や医学などの勉強を行いました。

 

江戸時代の末期にはペリーの黒船来航によってアメリカに対しても開港することになり、その後、明治維新が起こりようやくヨーロッパやアメリカとの交易が自由になりました。

 

明治維新後にはそれまでのオランダを中心とするものからイギリスや米国の言葉である英語の重要性が認識されて、時の政府は英語教育の必要性に気がつき外国から語学教師を招くようになります。

 

この時代の英語教育は文法を主体として英文和訳の教育が盛んに行われました。

これは、当時としては当然のことで英語を話す機会の少ない日本人にとっては、会話することよりも英語の書物を解読して西洋文化や技術を取り入れることに主眼を置いていたからです。
この英語教育方法の影響は後の大正、昭和の時代にも大きく影響を与えており、現在でもその影響は根強く残っています。

 

日本の学校教育で中学、高校と6年間も英語教育を受けているのに英会話も殆どできないという現実にも表れています。

 

第二次大戦の終結後になってアメリカ進駐軍や大勢のアメリカのビジネスマンや観光客が日本を訪れるようになったことで日本の英会話熱が盛んになりました。

 

また、日本の経済復興とともに東京オリンピックと大阪万国博覧会が行われる頃には日本人が、世界に観光やビジネスで羽ばたいてゆきました。

 

特に日米関係が良くなるに連れてパックツアーなどでアメリカに観光する人の数も急増しました。

 

ハリウッドの映画も日本で盛んに上映されるに従い英語の中心がアメリカと英語へとシフトしてゆきます。
現代でもアメリカは経済においても軍需面においても世界一の強国ですから、益々アメリカ語が世界の公用語になりつつあります。